2011.3.11 東日本大震災を受けて 私たちが農業に関心を持った理由

2011.3.11 14:46に東北地方、関東地方の太平洋沿岸地域を中心に、かつてない規模の大地震が発生致しました。

 

青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県などの沿岸地域では、想像を超える大きな津波が市街地や住宅街を襲い、2万人を越える死者・行方不明者を出すという甚大な被害の爪あとを残しました。

 

当農園の所在する秋田県大館市では、当時、大きな揺れを感じたものの、震度4~5で、建物の倒壊や地割れといった巨大地震の被害は及びませんでした。

 

むしろ、その後の物資不足や2日間続いた停電や、断水といったライフライン・インフラの麻痺から関東から東北の広域に及ぶ被害の大きさを実感させられました。

 

2011年3月末に、当時子供がまだ1歳であったことから、おむつやペットボトルの水、トイレットペーパーなど、わずかばかりの物資を車に積み込んで、親戚のいる宮城県仙台市を訪れ、その日に市内3箇所の避難所・施設を訪問させていただき、少しでも支援となれば、と個人的に物資をお届けしました。

 

実際に現地を目にし、震災発生後2週間の間に、街の人々が一生懸命に倒壊した瓦礫を運び寄せ、道路を車が通れるようにし、特に建物の中では、震災前と変わらない状態にまで戻っている場所がある一方で、沿岸部で、おそらく元々田畑であったであろうという場所に積み重なったままの大量の流木や瓦礫に、思わず声を失いました。

 

農家を目指し、義父母の農作業を手伝うだけの修行中でかけだしの身としてできる取組みや援助は、当時ほとんどありませんでした。

そのことが一番悔しかったですが、同じ東北人として最大限の努力を惜しまない決意をしたことを覚えています。

 

 

そして何より、避難所生活を余儀なくされておられる被災者の皆さまの気持ちが休まらぬうちに、今度は原子力発電所の事故が、日を追うごとにその被害の大きさが報道されるにつけ、同時にいわれのない多くの風評被害が東北の事業者・農家・漁業関係者の方々に容赦なく降りかかりました。

  

 

代表者個人の見解としましては、いたずらに農薬・化成肥料・除草剤や、環境ホルモン、放射性物質などを神経質にとにかくすべて拒絶するという姿勢は推進いたしません。

 

「できるだけ安全なものを作りたい」その意気込みは変わりませんが、止むに止まれず農薬をお使いになられる農家の方々の気苦労も、十分なほど痛感しております。

農業技術的に学ぶ事が多いのは否定できない事実であり、頭から慣行農法を否定するものでもありません。

 

いち農家であっても、社会構成員であることを忘れずにいるべきだという考えは、就農以前より変わっておりません。

社会情勢や、国際食糧事情にも目を向ける必要があると常々感じております。

 

肥料や必要な資材の高騰化などのほか、異常気象など、農業を取り巻く環境がここ数年激しく様変わりしているからでもあります。

 

 

一方、お客様のニーズや思考は自由で、それは何者であっても侵害できない尊いものです。

 

だからこそ、毎日の生命の糧、家族の会食の彩りの一つとして、楽しんでお召し上がり頂きたい、そして震災を契機に、多くの方々が改めて考える事となったといわれる食の安全について一緒に考えたく、ここに述べさせて頂きました。

 

今年度も、春の作物の苗の不足のほか、異常気象で圃場の被害が生じましたが、できうる限りの対策を講じながら、市場にしっかり求められる量を送り届けたい。

今後も同様の農業資源の不足は起こりうると考えられます。

 

日々の農作業に一層励む所存でございます。

 

 

 

2023年12月

小野商店 代表 小野 潤